#9『記憶と想像の人物録』第一回 吉本ばなな

婦人画報での連載『坂本図書』のページの端にはこう書かれていました。

坂本龍一の傍にはいつも本がある。本から始まる。本に気づかされる。本で確信する。無類の本好きで知られる坂本龍一の記憶と想像の人物録。

その言葉と共に世に送り出された36回の連載が一冊にまとまり、書籍『坂本図書』となりました。

『Sakamoto Library Letter』はその続編として、本を愛する人々に「自身を培った一冊の本」を選んでいただき、その一冊をとっかかりにして、選者独自の視点である人物(著作者/その本で扱われている人物)について語り下ろしていただく連載企画『記憶と想像の人物録』をスタートします。

第一回目にご登場いただくのは、小説家の吉本ばななさん。

“読みたい“という強い欲求を掻き立て、ある価値観を刷り込んだ「人生に関わる一冊」として選んだのは藤子不二雄作『オバケのQ太郎』。

この連載で取り上げられた書籍は、図書空間『坂本図書』の棚に並びます。ご来館いただいた方はぜひ手に取ってみてください。

藤子・F・不二雄

 藤子・F・不二雄先生の作品には人間を俯瞰するような視点があります。
 『21エモン』は惑星旅行が当たり前になった二十一世紀のトウキョウで老舗ホテル「つづれ屋」を営む跡取り、21エモンを主人公にした近未来SFです。つづれ屋はどうしようもなく汚いのだけど、地球が人気の観光地となっているから、異星人たちが大勢泊まりにやってくる。今でいうところのインバウンドですね。でも、星ごとに風俗は違うからトラブルが起こるんです。頭を撫でたから死刑だといって大騒ぎになったりとか。
 『モジャ公』では、クエ星人が800年前に殺された父親の仇を討うと主人公の空夫を執拗に追いかけ回すエピソードがあります。空夫が「まだ生まれていない」と説明しても、クエ星人は聞く耳をもたない。かれらから見たら、地球人はみんな同じ顔に見えるんです。人間が魚のそれぞれの顔を見分けられないのと同じように。たしかにそうかもしれないな、と当時、子ども心に納得したのを覚えています。
 藤子・F・不二雄先生は、角度を変えたら物事がどう見えるかをつねに考えていたのでしょう。藤子・F・不二雄ミュージアムに行くと、先生がカップ焼きそばのU.F.O.を空に投げUFO(未確認飛行物体)に見立てて写真を撮っている記録資料があります。巨視的な視点をもちながらも日常が描かれているのが、藤子作品の真骨頂なのかもしれません。『ドラえもん』しかり、私がいちばん好きな『オバケのQ太郎』しかり。

 Qちゃんをはじめて読んだのは5歳のころ。漫画好きな姉が買って家にあったのを読んだのかな。これは何度も書いていますが、小さいころ私は左目が弱視で、ふだんは治療の一環で見えているほうの右目を眼帯でふさいでいたので、ほとんど真っ暗な世界で暮らしていたんです。目が見えないから、外にも出られない。一日に数時間だけ眼帯を取っていい時間があって、そのときに爆発的に読んだのがQちゃんでした。読みたさのあまり視力を出していたのかも(笑)。
 マンガは手塚治虫先生やちばてつや先生の作品もたくさん読んだし、大人になってからはフランソワーズ・サガンとかカルロス・カスタネダといった作家からも影響を受けました。でも、私の根源にあるのは間違いなくQちゃんです。権利の関係で長らく手に入りにくくなっていたのを中央公論社が復刊したときもすぐに全巻買い揃えました。
 子どものころの私は、Qちゃんのどこに惹かれていたのか。勧善懲悪のマンガが多いなか、善を目指していないのが読んでいて楽だったのかもしれません。今では確かめようもないですが。
 でも、読みかえしていると思うことがあります。
 まずQちゃんは、ほとんどなんの役にも立たない。正太の家に住む居候で、大食いで、寝てばかりいて、わがままでマイペース。空を飛べるけどスピードは出せないし、オバケといっても靴にしか化けられない。
 正太の家族も、そんなQちゃんを追い出そうとはしません。給料が少ないとか家計が厳しいという話はしても、Qちゃんを排除するという発想にはならないわけです。「そういうことは考えるもんじゃない」という前提が共有されていたのかもしれないですね。昭和にはそういう価値観があった気がします。私の家の近所にも“ただいる人”がたくさんいました。仕事を辞めて町内でぶらぶら歩いているおじさんとか、生活保護を受けて暮らしているおばさんとか。
 小さいころから繰り返し読んだせいか、私の潜在意識のなかには、Qちゃんで描かれている状態が最上だと価値観が刷り込まれています。できれば何もしないで、いるだけでその場が和む人になりたいなって。それを許容する社会とまで言ってしまうと言い過ぎかもしれませんけど、そういうことでもありますね。
 その点、ドラえもんはちょっと役立ちすぎる。役立つことは便利だけれど、関係に利害が生まれてしまう。だから私にとっては、Qちゃんのほうが格上なんです。
 Qちゃんのなかでも特に好きなのが初期の『オバケのQ太郎』です。藤子不二雄先生という基盤のうえに、石ノ森章太郎先生や赤塚不二夫先生がアシスタントに入って絵を描いちゃったりして、何かが立ちあがろうとする雰囲気と勢いがある。『新オバケのQ太郎』も面白いけれど、安定しすぎている感じがして。

 藤子・F・不二雄先生とは晩年に一度だけお会いしたことがあります。まさか会えるとは思っていなかったですね。たしか、漫画雑誌の企画で対談したのだったと思います。『キッチン』を読んで「よかったよ」と言ってくれてものすごく感激しました。アシスタントも泣いちゃったりして。対談のあと、色紙にQちゃんを描いてプレゼントしてくれようとしたのですが、手が震えて今はきれいに描けないからと、あとで清書したものを送ると約束してくれました。
 後日、直筆のお手紙を添えて、色紙が届きました。お手紙にも震えぎみの線で描かれた、Qちゃんとドラえもんがいっしょに空を飛んでいる絵が。

 先生が亡くなったとき、創作の原点であるQちゃんを忘れないようにその絵を図案にして、左の肩に入れ墨を入れました。
 彫り師ははじめ、けげんな顔をしていましたね。ふざけて入れるものじゃないですよ、みたいな表情で。ふだん龍やクロムハーツ風の十字架を彫っている人だったので冗談だと思われたのかもしない。でも、原画を出して事情を説明すると、私が本気だということが伝わって、「わかりました、心を込めてやります」と言ってくれたんです。真剣になってくれたのがすごく嬉しかったですね。
 あとになって、入れ墨のことを先生の奥様に伝えたら「あんた、なんてことしちゃったの!」と叱られました。もう取れないのよ!って(笑)。私一応、藤子プロにも、©︎を入れたほうがいいか確認したんです。担当者が「入れたほうがいいのか?」「でも入れたら公式になってしまう」「それもそうだな」と協議していたのがおかしかったですね。
 先生は亡くなる直前まで、ずっと自分で下絵を描かれていたそうです。アシスタントに指示を出して描いてもらうこともできたはずなのに。  私もそうありたいと思います。だからこれからも、死ぬまで小説を書くつもりです。左肩にいるQちゃんといっしょに。

吉本ばなな(よしもと・ばなな)

1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞<Under35>、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『はーばーらいと』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
オフィシャルサイト: http://www.yoshimotobanana.com

『オバケのQ太郎』

藤子不二雄 作 虫コミックス
『パーマン』や『ドラえもん』など“非日常の存在”を日常化した後の作品群の嚆矢となった、生活ギャグ漫画の金字塔。1964年に「週刊少年サンデー」で連載が開始し、翌年アニメ化されると、空前の“オバQブーム”を巻き起こした。「藤子不二雄とスタジオゼロ」名義でクレジットされた初期には、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐのほか、石ノ森章太郎をはじめ“第二のトキワ荘”と言われたスタジオゼロの面々が脇役や背景の作画に参加していた。

藤子不二雄:藤本弘(1933–1996)と安孫子素雄(1934–2022)の共同ペンネーム。1951年に『天使の玉ちゃん』でプロデビュー。代表作に『オバケのQ太郎』や『パーマン』など。1987年のコンビ解消後はそれぞれ、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐの名義で数々の作品を発表した。