#14 書架一景 vol.02 ピーター・バラカン(ブロードキャスター)

今月のニュースレターでは、「書架一景」vol.2をお届けします。 毎回坂本さんと縁のある人物や有識者の方々のご自宅やアトリエを訪ね、興味関心の保管庫であるとともに、立体的にマッピングされた知の体系でもあるご自身の本棚を案内していただくコーナーです。

第2回に登場いただくのは、ブロードキャスターのピーター・バラカンさん。二人の出会いは今から40年ほど前に遡ります。時は、YMOの活動が絶頂期だった1980年。坂本さんがリリースしたソロアルバム『B-2 UNIT』の楽曲「Thatness And Thereness」の歌詞の英訳を行ったのをきっかけにバラカンさんはYMOの事務所へ転職、YMOのマネジメント事務所で海外著作権や通訳などの国際的業務を担当しました。映画『戦場のメリークリスマス』のロケ地にも帯同しています。

靴を脱いでスリッパに履き替える。玄関の近く、すぐ手に届くところにチラシが2種類並んでいる。映画祭と音楽フェスティバル。どちらもこの家の主人(あるじ)が主催するイベントのチラシだ。ブリティッシュロックが華やかなりし頃のロンドンで生まれ育った音楽好きの少年は、1974年に日本の地を踏んだ。それから半世紀。音楽出版社やYMOの事務所での勤務、テレビの音楽番組の司会を経て、現在はラジオを中心にフリーランスのブロードキャスターとして日夜、良質の音楽を全国のリスナーに紹介している。
玄関から本棚のある部屋へ案内してもらう。廊下の壁はまる一面、CDで覆われている。ラジオでかかる曲もここから取り出されているのだろうか。足元には、洋雑誌や資料らしき本が山を成している。そして、その廊下の先。中庭から穏やかな光が差し込む奥の間が、ピーター・バラカンそのひとの資料部屋である。
バラカン:ごめんなさいね、暑くて。エアコンはあるけど、今から入れてもね(笑)。

— いえいえ。ラジオの選曲をするときもここに来られて?

そういうときもあるけど、2階が多いです。そっちのほうが広々としててね。ここはまあ、仕事部屋というよりも資料部屋。

— このMacのデスクトップは昔のやつですね。

そう、20年ぐらい前のかな。キーボードもつけてないんだけど、DVDが見られるから。ほとんど使わないんだけど、ときどきDVDプレーヤーとして使うんです。

— この可動式のラックは?

ここは自分の本の在庫とか、執筆している雑誌を入れています。あとは『Blues & Soul Records』っていう雑誌のバック・ナンバーも取ってあります。

— あ、すごい。カセットも相当ありますね。VHSも。

かなり昔のですね。

— あの辞書みたいなのは?

あれは、音楽百科事典です。

— 年季が入ってますね。

もう数十年前の事典ですから。今は全部、情報はインタネットに出てるでしょうね。この部屋の本棚にあるのは、主に音楽関係の本。あとね、2層になってるんですよ。表と奥で。でもCDを跨いでいかないと、本棚にたどり着けない(笑)。

— (笑)。必要になったら引っ張り出してきて、読み返したり?

もちろん、それはありますよ。ほとんどは一度読んだきりですけど。

— 読み返す本というと、たとえば?

ドクター・ジョンの自伝(『フードゥー・ムーンの下で』)は少なくとも2回は読んだな。ミュージシャンの自伝は、ラジオ番組で特集したいときとかに、おさらいのつもりで部分的に読もうと思って手に取ったら、全部読んじゃったっていうこともあるし。

— ああ、なるほど。じゃあこの部屋は、音楽の歴史書が多い?

歴史というか、ミュージシャンの自伝だとか、そういうものもけっこうありますね。

— 音楽本でこれぞという1冊があれば、ここからピックアップしてもらってもいいかなと思いますが。

今日取り上げる1冊はもう決めてあるんです。それは上のリヴィングに置いてあるので。

— あ、そうでしたか!

あとは、2階にある息子の部屋にも本があります。そっちを先に見ますか?

— いいですか。

(一同移動)

— ここにはどういう本を?

音楽関係が多いですけど。

— ビートルズ、マーヴィン・ゲイ、YMO。ユヴァル・ノア・ハラリ。マルコムX……

あ、マルコムXもあります?

— 『Malcolm X: A Life of Reinvention』。

ああ、じゃあ後から読んだものです。いや、今日話そうと思っていたのが、マルコムの自伝です。

— あ、本当ですか! ゴジラのフィギュアもありますね。ここにはお子さんの本もあるんですか?

彼のはないですね。とっくの昔に家を出ていったので。

自己変容の可能性に気づく1冊

— これがさっきおっしゃっていた本ですね。『The Autobiography of Malcolm X』(『完訳 マルコムX自伝』)。ペーパーバック版。

僕はポピュラー音楽をずっと聴いてて、そのなかでも特にアメリカのブラック・ミュージックが好きなんですね。ソウルだったり、ブルーズだったり、ジャズだったり。そういう音楽を長年聴いていると当然、人種問題にも興味をもつことになる。人種問題について、誰よりも鋭く書いているのがマルコムXだと思います。この本を読んで、すべてピントが合った感じがした。自分にとって大事な1冊です。

— 最初に読んだのはいつでしたか?

いつだったか。この本を原作にした映画(『マルコムX』)が作られたのが、90年代前半でしたね。スパイク・リーが監督をして、デンゼル・ワシントンがマルコムを演じたすばらしい映画ですけどね、長いんですよ。3時間半ぐらいあるかな。僕も1回しか観てない(笑)。でも、もう1回観たいなと思っていて。その映画の公開前後かな。公開前に読んだかもしれない。でも、大昔ではないです。90年代。

— じゃあ、日本に来てから?

はい。

— 人種主義についての本は元々読まれていたんですか?

そうですね。10代の頃にジェイムズ・ボールドウィンやブラック・パンサー党のエルドリッジ・クリーヴァーの本を読んだり。音楽そのもの、たとえばソウル・ミュージックに関する本もその頃たくさん読みました。だけど同時に、黒人問題にも関心があって、リロイ・ジョーンズ、のちにアミリ・バラカに……たまたま僕に似た名前になったんだけど、彼の本なんかも学生の頃に読みましたね。そのなかでもマルコムのこの本は、人種問題の本質を押さえている気がします。

— 「オートバイオグラフィー」ということは、自伝ですか。

この本はね、マルコムが後にドラマにもなった小説『ルーツ』を書くことになる作家のアレックス・ヘイリーに語った自叙伝なんです。本が出来上がったのはマルコムが死ぬ直前。命を狙われていることもわかっていて、実際に彼の家も放火されたし、いつ死んでもおかしくないという状況のなかで書かれている。とにかく、自分の人生に何があってどうなったかということを、ありのまま伝えたいという強い意志を感じますね。やっぱり、物事には前後関係があるから。それを全部、語っているんです。

— あますところなく。

そう、全部。で、彼は刑務所のなかでイスラム教と出合います。面接に来た兄貴から教えられて。最初は、宗教には無関心だったんだけど、本を読むうちにだんだん腑に落ちていくんです。途中で移った刑務所は、図書館があって、ない本でも注文すれば仕入れてくれるようなところで、本ばかり読んでたみたいですね。法律から宗教のことまで、片っ端から。それで、出所したあと、彼はネイション・オヴ・イスラムという組織に入ります。そこで、アメリカの白人が黒人に対してやってきたこと、なぜアメリカの黒人はこんな酷い目にあっているのか、ということを事細かに教わるんですね。それで、人々にそのことを説教というか、伝達していくようになっていく。

— その時点で、まだ若いわけですよね。

まだ20代半ば。50年代の前半です。彼はその後、ネイション・オヴ・イスラムで頭角を現して、モスクを任されるまでになります。彼が入った時点では、アメリカ国内でまだモスクはふたつ、シカゴとデトロイトにしかなかったみたいですね。マルコムの活躍によって教徒もどんどん増え、モスクもあちこちに建っていきました。ただ、そうすると、組織の一部で彼を妬む人たちも出てくる。マルコム自身あまり競争意識はなかったみたいですけど、結局、権限のある立場から外されてしまうんです。同じころ、忠誠を尽くしていたリーダーのイライジャ・ムハンマドが戒律を破っていると知り、組織自体に疑問をもち始めたりもして。そういうことが起こっている時期に、ケネディ大統領が暗殺されます。1963年の11月。その事件について意見を求めにきたメディアの記者に対して、マルコムは「ニワトリが巣に戻ってきたようなものだ」といいます。英語でいうと、chickens come home to roost。要するに、社会が生み出した暴力が戻ってきたんだ、と。

— 因果応報である、と。

そうです。彼はケネディを嫌っていたわけでもないんだけど、その発言がケネディ追悼一色になっているアメリカ中で非難されるんです。実はね、その発言の前に、ネイション・オヴ・イスラムのトップから、国中がピリピリしているから、ケネディの事件についてはコメントするなと言われていて。それで、マルコムは発言の責任を取らされて、謹慎を命じられます。で、彼も悩むんだけど、しばらくして一人でハッジに出かけるんです。

— ハッジ?

イスラム教徒のメッカ巡礼です。毎年その時期になると、何百万人というイスラム教徒が世界中から集まってくる。サウジ・アラビアの空港に着いたマルコムは、全員が自分の服を脱いで、白装束に着替えて歩き出す光景を目にします。どこから来たかとかどういう立場の人であるかは、一切わからない。みんな平等で、差別なく接している姿を見て、衝撃を受けるんです。アメリカではずっと黒人として見られるわけですからね。それで、彼の世界観が一変します。正統派イスラム教に入信してアメリカに帰ると、それまで、白人は悪魔だというようなことを言ってたのを、もうちょっと中立的というか、歩み寄るような活動にシフトしていきます。白人にも良い人がいる、と認めて。さらに暗殺される前は、キング牧師の立場にも理解を示していました。

— 公民権運動の対照的なふたり、とされがちですけど。

キング牧師のほうも、自分がどんなに非暴力の路線でやっても状況が前進しないというので、マルコムに一部賛同するようなところもあったみたいですね。マルコムは「自己防衛のための暴力は暴力ではなく知性と呼ぶべきである」という言葉で有名だけど、そんなことをいうと、当時のアメリカではテロとみなされてしまうんです。マルコムが暗殺されたとき、『The New York Times』ですら「扇動屋・マルコムX死亡」という見出しだったそうです。まともな評価が出てきたのは彼が死んだ後からなんです。

— 本の内容が頭に入ってますね。何回か読まれてるんですか?

3回は読んだかな。あとね、この本以外にも演説集のCDもあります。マルコムは演説がすばらしいです。強い口調と淡々とした口調を織り交ぜて話すんだけど、理路整然とした語りで説得力がある。彼は子供のころに弁護士になりたかったですが、法学の道に進んでいたら、ものすごい弁護士になっていたと思いますよ。政治家にもなってほしかったな。まあ、一種の政治家ではあったかもしれないけれど。

— マルコムはたしか、自分の組織もつくっていますよね。

ムスリム・モスク・インクね。ネイション・オヴ・イスラムから追放されてイライジャ・ムハンマドに失望したあと、自分でイスラム教の組織をつくるんです。これは誰でも歓迎で、白人も入れるというものでした。ただ、黒人の立場を向上させるというのが目標のひとつとしてあって、それを達成するためには白人がムスリム・モスク・インクに入って活動するよりも、白人は白人同士で活動したほうが効果があるということも論理的に説明するんです。締め出すわけじゃないけれど、入ってきても効果は落ちる、と。

— 白人は白人社会のなかで活動して、内側から変えていくほうが効果的だということですよね。

そうそう。マルコムは若い頃、ある意味で凝り固まっていたけれど、メッカ巡礼をきっかけに思想的にも大きく変わっていきました。そこがすごい。この本を読むと、どんな立場の人でも、変わり得るんだということがよくわかると思います。若い頃にワルをしていた話とかも、全部おもしろいんだけどね。

海賊ラジオと『Rolling Stone』の時代

— バラカンさんがブラックミュージックに興味をもったきっかけは何だったんですか?

まあ、時代ですね。僕は1951年生まれで、ビートルズとかローリング・ストーンズを聴きながら育った世代です。ストーンズの初期のレコードは、シングルのA面やアルバムの半分ぐらい、ブラック・ミュージックのカヴァーだったんですよ。当時は12、13歳だからそのことも知らないんだけど、レコード盤のレーベルに作曲家名が書いてあって、これは一体誰なんだろう、と気になるわけです。で、音楽雑誌を読んでいると、そういう人たちについて書いてあったりして。そこから少しずつ知るようになりました。

— 同時代のブリティッシュロックから遡っていった。

遡るというより、最初は同時代のブラック・ミュージックでした。ストーンズのデビューが63年で、最初のアルバムが64年。64年はね、イギリスでリズム&ブルーズが爆発的に流行ったんです。モータウンも60年代の初頭から少しずつ人気が高まってきて、65年になるとオーティス・レディングとかウィルスン・ピケット、サム&デイヴみたいなメンフィスのディープなソウルがどんどんヒット・チャートに上がってくるんですよ。

— イギリスの若者もアメリカの音楽に熱狂していたんですね。

海賊ラジオの時代だったので、そういう曲がバンバン電波に乗っていたんです。ソウル・ミュージックは当時の最先端、新しいポップ・ミュージックだったわけだから、僕らの世代はみんな聴いていました。僕はそこから、戦前の、30年代のブルーズとか時代を遡って聴くようになって。そこから色々広がっていきましたね。

— その頃は何を読んでいましたか。音楽雑誌で情報を集めたり?

いや、その頃はそうでもなかったですね。読んだといっても『Melody Maker』とか『New Musical Express』っていうタブロイド誌ぐらい。ちょっとした新譜紹介はあっても音楽を掘り下げるような記事はありませんでした。あくまで情報中心だった。音楽のジャーナリズムでいえば、67年にサンフランシスコで創刊された『Rolling Stone』からですよね。

— ああ。『Rolling Stone』は創刊したころから読んでいましたか?

かなり初期から読んでいたと思います。当時は2週間に1回出ていたんですけど、アメリカの雑誌だからイギリスで並ぶまでに時間差があるんですね。レコード店で売られていたので、見かければ買ってました。仕事部屋の奥の棚に、古いのが何冊か置いてありますよ。60年代の終わりか70年代初め頃の号だと思うんだけど。

— 『Rolling Stone』誌といえば、ゴンゾー・ジャーナリズムの旗手だったハンター・S・トンプソンも書いていましたよね。最初からジャーナリズム志向の強い音楽誌だったんですかね?

『Fear and Loathing in Las Vegas』(『ラスベガスをやっつけろ』)を書いた人ですね。彼が書くようになったのはたしか70年代に入ってからかな。少なくとも有名になったのはそのあたりですね。ローリング・ストーンは音楽雑誌でしたけど、ヒッピーやカウンター・カルチャーの時代だから、政治が音楽にどう関わるかとか、そういう記事もありました。『Rolling Stone』の影響でイギリスでもその後、音楽を深く論じる雑誌が出てきました。ぼくがよく読んでいたのは『Let It Rock』でした。

『のたり松太郎』と1990年代のAmazon

— バラカンさんはロンドンの大学で日本語学科を専攻していたと思うんですが、当時読んだ本で覚えているものはありますか?

日本語の本はほとんど読んでなかったね。

— あ、そうなんですか!

難しいんだもん! 大学生にとって(笑)。

— でも、日本語学科ですよね。

日本語学科だけど、ゼロから始めてますから。4年かけて漢字の詰め込みからやったけど、漢字が読めるようになって初めて本が読めるわけだから。読めないですよ。授業では1年かけて1冊の本を読むようなもんだから、そう簡単には。

— なるほど。じゃあ、大学時代の読書というと音楽関係のものが多かったですか?

何読んでたかな。雑誌はよく読んでたし、レイモンド・チャンドラーもよく読んでたね。フィリップ・マーロウという探偵が主人公のミステリー小説。あと、フレデリック・フォーサイスとか。いろいろ読みましたね。

— 小説なんですね。

割と小説が多かったかもしれない、あの時代は。

— ペーパーバックですか。

ペーパーバックですよ、ほぼ全部。ハード・カヴァーでは『指輪物語』は高校3年生ぐらいで読んだかな。大学時代はミステリーが多かったかもしれないね。

— 大学で日本語学科に入るのは、日本に興味があったからですか?

いや、興味があったというわけでもなく(笑)。いい加減です。で、15人のクラスだったんだけど、半分ぐらいは僕と同じで、いい加減な理由で選んでました。

— そうなんですか。でも、他の言語もあるわけじゃないですか。

まあそうね。僕は語学ということは決めてて。で、じゃあ何語にするか、というところで興味のないところをぜんぶ……

— 消去法的に外していって。

残ったのが、日本語だった(笑)。でも日本について、ほとんど知りませんでしたね。日本語に漢字とひらがなとカタカナがあることも知らなかったし。だから、本当いい加減ですよ! 入ってからけっこう……

— 後悔しそうですよね。3つのキャラクターを覚えるのは面倒じゃないですか。

めんどくさいです(笑)。ハハハ。

— 日本には1974年からお住まいですが、当時読まれた本や雑誌は覚えてますか?

日本に来てからも、ほとんど英語の本しか読んでなかったです。やっぱり今でもね、日本語の本を読むスピードは、内容にもよりますが、英語の本の五分の一だろうな。全然比較にならない。斜め読みもできないし。日本に来てすぐのころは、まだ小説が多かったかな。ジョン・アーヴィングとかね。日本語で最初に読んだのは……僕ね、東京に来て相撲に興味をもったんですよ。会社で働いていて生中継は見られないから、夜中の「大相撲ダイジェスト」を見て。でも、決まり手とか、基本的なことがわからない。それを会社の仲間に話したら、ちばてつやの『のたり松太郎』というマンガを1巻貸してくれたんです。マンガだから僕としても読みやすいし、ちばさんの絵も緻密ですばらしい。電車で読んでて、プッて吹き出すぐらいおかしくってね。すっかりハマって20巻以上買いました。70年代半ばだから、ほぼ50年前ですよ。

— 『のたり松太郎』はまだ手元にありますか?

寝室にあります。

— 70年代の東京で洋書を買えるような場所はあったんですか?

銀座の晴海通りにイエナという本屋があったんですよ。せまーいお店だったけど、4階ぐらいまであったと思う。そこか、新宿の紀伊國屋か、日本橋の丸善。限られたところにしかなかったから大変でしたよ。だから、出張でロンドンやアメリカに行くと大量に本を買い込んで。Amazonが誕生したときにどれだけ喜んだか!

— 革命ですよね。Amazonはいつからあるんでしたっけ?

96、97年あたりだったと思う。ちょうどそのとき買いたい写真集があったんですよ。
セイドゥ・ケイタというマリ共和国で写真館をやっていた写真家が撮ったポートレイト集。資生堂ギャラリーでやっていた彼の写真展で見て、すぐに欲しかったんだけど、会場ではなぜか売ってなくて。で、これは日本では手に入らないだろうと思って、噂に聞いていたオンラインの本屋を試してみようと思ったんです。それがAmazon。注文したら1週間で届きましたよ!

— 1週間だと、今より早いかもしれないですね。

まだできたばかりだからね、そんなにオーダーがなかったんだと思う(笑)。

— 今もっている英語と日本語の本は、比率でいうとどのくらいですか。

英語の本が多いと思います。日本語で出てない音楽関係の本は多いし、日本語訳が出たとしても、元々英語で書かれたものはやっぱり英語で読みたいから。仕事で日本語の本もけっこう読みますけどね。

— それは音楽関連のものが多いですか?

いや、音楽にかぎらず。東京FMでやってる「ライフスタイル・ミュージアム」っていうインタヴュー番組があるんですけど、本​​を出した人が出演することが多いので、その本を急いで読まなきゃいけなくて大変です。

本は捨てない、入れ替えない

— この家に住まれて、長いんですか?

そうですね。1997年に建てたので、27年前か。

— リビングにも何ヶ所かに分けて、本が並んでいますね。田中一村の画集があったり。どういう分け方をしていますか?

ここにある本は、いわゆるコーヒー・テーブル・ブック。他の棚には収まらない大判のものです。息子の部屋に置いているのは、他のところに収まらなくなったもの。彼が今はいないから、そこを使わせてもらって。

— ちょうどいい。

というか、仕方なく(笑)。入るところに入れる。

— 本棚でいうと、さっきの資料部屋がメインですか。

うーん。メイン……というべきか。あそこも変わってないね。一度入れちゃったら、そのまんま。

— 読書の習慣でいうと、どこで読まれますか?

最近はほとんど乗り物のなかです。寝る前も何か読みたいなと思うんですけど、2、3分で眠くなっちゃうから全然ダメですね。女房は朝目が覚めてから実際に起きるまで、けっこう長い時間、本を読むんですけどね。だから読むとしたら、電車とか飛行機とかバス。乗り物に乗るときは必ず本、新聞、雑誌のどれか、あるいは複数を必ず持っていきます。

— はかどりますよね、移動中は。

読めないって人もいるみたいですけど、僕ははかどりますね。読んでいると、あっという間に着く。乗り過ごしたこともありますよ(笑)。

— 家ではあまり読まないですか?

そうですね。本は買っているんだけど、読む時間がなくて、ベッドサイドで山が高くなるばかり(笑)。

— 積読の山が、ベッド脇に?

はい。でも、下のほうは絶望的です。断念するしかない(笑)。

— さきほど真弓さん(バラカンさんの妻)から、引っ越し以来何年も触っていない本が寝室にあると教えてもらったのですが、それというのは?

寝室の両サイドに2人それぞれの本棚があるんです。彼女は本をたまに入れ替えたりするんだけど、僕はなかなか。二度と読まないかもしれないけれど、捨てる気になれない本が多くて。

— その本棚には読んだ本を入れてある?

そう、それは学生時代も含めてね。たとえばレイモンド・チャンドラーとかジョン・ル・カレの小説も全部そこに入ってるし。チャンドラーなんかはたまに読み返すんですよ。サリンジャーの『The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』もこれまでに5回は読んでると思う。

— 5回も。それはどういうタイミングで?

特に理由はないんだけど、ふとした拍子に読みたくなるんですね。映画で誰かが触れていたとか、何かきっかけはあるんでしょうけど。

— チャンドラーはどのタイトルが好きですか。

うーん。みんな読んだんだけどね、強いていえば、『The Long Goodbye(長いお別れ)』かな。映画は嫌いでした。

— え、そうなんですか(笑)。映画しか観たことないかもしれません。

エリオット・グールドが主演のでしょう? あれはダメ(笑)! チャンドラーが観たら怒ったと思うな。小説はすばらしいです。

— 読みます。じゃあ、学生時代に読まれた本も捨てずに取ってあるんですね。

取ってあります、レコードも本も。中学生のときに行ったビートルズとかストーンズのコンサートのパンフレットもありますよ。ジミ・ヘンドリックスとかボブ・ディランとか。ザ・バンドもあったかな。

— とはいえ、今自宅に置かれているレコードや本は学生時代から全部というわけじゃないですよね。セレクトして残されていると思うんですけど……

いや、ほとんど捨てていないですよ。さすがにもう読まないっていうのがあれば、古本に二束三文で売ることはあるんだけど、でも、ほとんど取ってありますね。

— レコードはどこかに置かれてますか?

レコードも本と一緒で、あちこちに。ひとつの部屋に全部収まればいいんですけど、やっぱり散在してます。

— でも、何がどこにあるかは把握できている?

僕だけが把握してます。ラジオの収録から帰ってくると、その日使ったCDは必ず元の位置に戻す。じゃないと……この前もね、LPを1枚DJイヴェントで使おうと思って探したんだけど、出てこないんですよ。きっと何かの拍子に違うところに紛れ込んだんだね。本も一緒です。映像的に、あの棚にあるなって。他の人にはわからないけど、自分がわかればいいです。
本棚に入っている=場所を把握できる

— CD、レコード、本、それぞれどれくらいお持ちですか?

LPは3000から4000枚ぐらい。CDは万単位であることは間違いないけど、数える気になんない(笑)。見当もつかない。

— CDだけでもかなり場所を取ると思うんですけど、フィジカルで取っておくことは意識されてますか?

そうですね。でも、単に世代的なものだと思いますよ。うちの子どもはふたりとも30代だけど、CDはもってないですよ。オンラインでなんでも聴けるんだから、モノをもつ必要はないですよね。音楽だったらSpotifyとかApple MusicにないものもYouTubeで聴けるから。彼らはDVDとかBlu-rayももたないね。だから、オンラインで見られない映画は観てない。インタネットの登場で、芸術というか、文化的作品との接し方が決定的に変わりましたね。僕なんかはちょっと残念に思いますけどね。古い作品に触れる機会がなくなっちゃうから。

— 本は、フィジカルですか。電子書籍も読まれますか?

ときどき。僕の場合、本の帯文を書くときに、PDFのゲラをiPadで読むことはあります。あとは、すぐに読む必要がある本をKindleで買ったり。検索ができるのは便利ですね。でも、ほとんどは紙ですね。

— バラカンさんにとって、本棚はどういう存在ですか。

ランダムな質問だな(笑)。どういう存在……僕は現実的な人間だからか、本棚というのは本を整理するための場所、そのくらいですね。CDの棚も整理のためのものでしかなくて。取り出したいときに、すぐにどこにあるかわかるから便利なだけで、それ以上の意味合いは特にないです。

— 実用的に並べてる、ということですね。

そうです。

— 並べ替えたり、整理したりすることはないですか。

しない(笑)。すればいいかもしれないけれど、入れたまんま。

— でも、置き場所は把握してるから問題ない?

そうですね。だけど、本棚に入りきらないものは床に山積みになっていて、これはちょっと危ない。というか、何がどこにあるのか、あんまり把握できてない。それはときどき整理しないといけないですね。

ピーター・バラカン

1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。著書に『ピーター・バラカン式英語発音ルール』(駒草出版)、『Taking Stock どうしても手放せない21世紀の愛聴盤』(駒草出版)、『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ラジオのこちら側』(岩波新書、電子書籍だけ)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫、電子書籍だけ)などがある。2014年から小規模の都市型音楽フェスティヴァルLive Magic( https://www.livemagic.jp/)、2021年からPeter Barakan’s Music Film Festival ( https://pbmff.jp/ ) のキュレイターを務める。
ウェブサイト https://peterbarakan.net/