#12『坂本図書、蔵書を読む』vol.02 福岡伸一
『坂本図書、蔵書を読む』は、あらゆるジャンルで造詣が深い方々に『坂本図書』の蔵書の中から1冊の本を手に取ってもらい、その本に関する文章を寄せていただく連載コラムです。
第二回目の選者は、生物学者の福岡伸一さん。
音楽、アート、哲学、科学など、多方面に造詣の深い福岡さんと坂本さんは、20年来の親交があり、お互いの拠点とする東京・ニューヨークでは、度々会話を重ねてきました。
また、昨年3月には生物学と音楽という異なるフィールドで活躍してきた“ハカセ“と“教授”が、それぞれの音楽論、生命論をベースに現在に至るまでの道のりを語り合う共著『音楽と生命』(集英社)が刊行され、互いの人生観を語り合うなど、坂本さんとの共通点や接点の多い方でした。
今回は、坂本さんの盟友でもある福岡伸一さんに、蔵書の中から1冊をご紹介いただきました。

『音を視る、時を聴く 哲学講義』(朝日出版社、1982)
梅雨の細かな水滴が、あじさいの青を鮮やかに浮かび上がらせるある一日、地図を頼りに坂本図書に足を運んだ。古びたビルの廊下はしんとしていて床のリノリウムが鈍く光っていた。ドアに近づくまでそこが坂本図書であることはわからなかった。小さな表札とともに、
坂本さんの言葉、MAY SILENCE BE WITH YOU があった。
ドアを開けると、静かな空間が広がっていた。
手前の棚には、坂本さんの自伝『音楽は自由にする』『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』とともに、坂本さんと私の対談『音楽と生命』が置かれていた。奥には本棚が並んでおり、坂本さんがNYや東京で持っていた蔵書が置かれている。坂本さんが気に入っていたという椅子などもあり、それに座ってコーヒーやワインを飲みながら本をめくることもできる。そう、ここでは、今や持ち主を失った本たちが、誰かの手に取られるのをひっそりとまっている。
目につくのは、漱石全集といった文学叢書、井筒俊彦の歴史書・哲学書など。日本のファーブルとも称された熊田千佳慕の絵本や昆虫図鑑まである。なつかしい感覚に囚われた。ずっと昔、ニューヨークの坂本さんのスタジオを訪問したことがあり、その本棚にあった本のいくつかもここに移送されていたからだ。以前、私が献本した本もそっと置かれていた。
歴史といえば昔こんなことを話し合ったことがある。
手塚治虫のライフワーク「火の鳥」。中でも迫力があるのが「鳳凰編」である。時は奈良時代。大仏建立に向けて政治が動く中、二人の対照的な人間が交差する。一人は気鋭の仏師、茜丸。もう一人は野生児、我王。茜丸は朝廷に気に入られ、エリート芸術家としてめきめき頭角を現していく。一方の我王は、喧嘩で片腕を失い、ボロをまといながら悲哀の泥水をすすって生きる。
あるとき茜丸は夢を見る。芸術研鑽のため遣唐使に選ばれ、ようようと船出をするが、途上で嵐に遭い難破、海の藻屑となるも波間に
漂う微生物に生まれ変わる。火の鳥から、おまえは未来永劫人間には戻れないと告げられる。はっと目を覚ますと、そこは正倉院で、目の前に鳳凰の図がかかっていた。
このシーンは、後年、坂本さんがオペラ「TIME」で引用した邯鄲に似ている。
茜丸は、朝廷お抱えの仏師として栄達していくものの、芸術家としては徐々に堕落していく。
かたや我王は即身仏となって果てた高僧や、蜘蛛の巣に捕らえられた虫の姿を見て、ひとつの諦観に到達する。
「生きる? 死ぬ? それがなんだというんだ 宇宙のなかに人生などいっさい無だ! ちっぽけなごみなのだ!」
でも、と私はいう。宇宙から見ると極小の点に過ぎないからといって、その点に意味がないことにはならない。極小の中に極大が含まれていることもある。たとえば、顕微鏡で細胞を覗くと、そこには無限の宇宙が広がっているのがわかります。
それはまさに、ライプニッツのモナドだね、と坂本さんは言った。ニュートンと同時代に微積分学の基礎を拓いたライプニッツは、独自の世界観を持った哲学者でもあった。
茜丸と我王が対決する日がやって来た。東大寺の屋根を守護する鬼瓦のデザインコンペが二人に命ぜられたのだ。居並ぶ貴族たちの前で作品が公開された。端正に整った茜丸の作は今風の秀作だったが、異形の生命力と憤怒に満ちた我王作はその場にいた誰をも圧倒した。
しかし判定は茜丸に下った。茜丸を庇護する宮廷貴族に忖度した政治的配慮だった。
これって、ルネサンス期のフィレンツェのあの話とそっくりだよね。
ブルネレスキ対ギベルティですよね。手塚治虫は知っていたのかな。
1401年、フィレンツェの中央広場に位置するサン・ジョヴァンニ洗礼堂の正面玄関を飾るレリーフが公開公募されることになった。世界初のデザインコンペとされている。が、もし東大寺の鬼瓦の件が本当ならこれよりもずっと古いことになる。
ここに登場したのが、後に、フィレンツェの花の大聖堂のクーポラを設計してその天才性を歴史に刻むことになるフィリッポ・ブルネレスキ。対するは新進の芸術家として名を挙げていたロレンツォ・ギベルティだった。
このコンペでは、レリーフデザインのテーマがあらかじめ定められていた。旧約聖書にある物語「イサクの犠牲」を表現せよというものだった。
イサクの犠牲とは、アブラハムが、神の命令によって愛息イサクを生贄として捧げようとする話だ。すんでのところで天使が止めに入り、イサクの命は助かる。神は、アブラハムの信仰を試そうとしたのだ。
ブルネレスキとギベルティの出品作は、我王と茜丸の対決とそっくりだった。聖書の物語の登場人物とエピソードを技巧よくまとめたギベルティ作品は、繊細で整ってはいたものの総花的だった。対するブルネレスキ作品は、大胆な構図と劇的な表情に満ちた動的なものだった。
しかし審査の結果はギベルティが選ばれた。ギベルティは保守的な審査員の好みを熟知した上で、政治的な根回しをしていたとされる。
私の頭の中にさまざまなエピソードと、二人の会話の断片が走馬灯のようにぐるぐると巡った。
坂本さんは、ずっと昔から歴史家であり、思想家であり、そして哲学者だった。
僕は、ただのもの知りではなくて、THINKER を目指しているんだ。
そんな坂本さんの原点であっただろう一冊の本を坂本図書で見つけた。
若き日の坂本さんが、気鋭の哲学者、大森荘蔵と対論した『音を視る、時を聴く 哲学講義』である。今、奥付を見ると、1982年10月に第一刷とある。これは当時、朝日出版社から立て続けに刊行された画期的な対論シリーズ、LECTURE BOOKS のひとつ。
対談本は得てして、お友だちのほめあい、あるいはある種の予定調和に陥りがちだが、このシリーズは違っていた。一貫して、話者を、専門家VS作家(もしくは気鋭の聞き手)の対決構図で通した。そして、タイトルがいちいちふるっていた。『魂にメスはいらない』(河合隼雄VS谷川俊太郎)、『哺育器の中の大人』(岸田秀VS伊丹十三)、『ダーウインを超えて』(今西錦司VS吉本隆明)……また、粟津潔の手によるサイケデリックな装丁も時代にマッチしていた。当時、知的な渇きに苛まれた大学生だった私は夢中で読んだ。
『音を視る、時を聴く』は、見ることと聴くこと、“今”とはどういう時間か、イメージは頭蓋骨の中にあるか、風景を透かし視る、未来が立ち現われる、“私”はいない、という構成になっており、まだ30代前半だった坂本さんの果敢な挑戦が、荒削りながら、大森荘蔵の哲学を掘り起こすことに成功していた。そこで語られていることをひとことでいえば、私たちが自明のこととして持っている自己=セルフの概念というものが、それほど確かなものではない、ということである。自己の認識は、生物学的な身体が作られてからずっとあとに人工的にやってくる。それがゆえに、その自己が認識している(と思っている)世界感覚、あるいは時間感覚も、実は確実なものではない、ということになる。
これは、書籍『坂本図書』でも繰り返し、坂本さんが問いかけている時間の実在性への疑問とまっすぐに繫がっているといえる。坂本さんはずっとこの問題に取り組んできたTHINKERだったのだ。
ちなみに、LECTURE BOOKSの版元、朝日出版社は、岡山県出身の原雅久が一代で作り上げた出版社である。朝日の名は、朝日新聞とは関係がなく、原が、地元の進学校、岡山朝日高校の卒業生であることに由来する。語学出版を中心としていた同社は、70年代中盤になって、思想、哲学、科学、芸術へ華麗な展開を果たした。とくに斬新な思想雑誌「エピステーメー」を刊行したことが大きい。エピステーメーでは、いち早く、フランスの現代哲学者、ジル・ドゥルーズやフェリックス・ガタリが紹介された。これらは80年代に花開くニュー・アカデミズムブームへの滑走路を準備した。
出版人の価値が、新しい書き手を見出すことによって決まるとすれば「エピステーメー」はその孵卵器の役割を果たした。この孵卵器を作ったのが、古今東西の哲学に見識を持つ(下線不要)中野幹隆という編集者だった。LECTURE BOOKSシリーズを作ったのも彼だった。『音を視る、時を聴く』の巻末では、大森さんも坂本さんもそろって中野幹隆氏に謝辞を述べている。
大陸のプレートとプレートが出会う場所に、進化の最前線であるガラパゴス諸島が出現したように、異なる知が出会う界面に、ホットスポットが次々と出現していた。その熱に、私たち若者が感応させられたのだ。
その朝日出版社から私が刊行した、ガラパゴス諸島への航海記『生命海流』を、坂本さんに献本することにした。とびらに坂本さんへのひとことを添えた。
May tranquil be with you.
(やすらぎがともにありますように)
福岡伸一 |生物学者・作家
Shinichi Fukuoka
1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授。大阪・関西万博(EXPO 2025)テーマ事業「いのちを知る」プロデューサー。サントリー学芸賞を受賞し、88万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。